2012年05月10日

vol.77 重荷は降ろしたかい? 追悼 レボン・ヘルム

ザ・バンドのレボン・ヘルムが亡くなった。4月19日永眠。しばらく前から病床についていたという。

最初にお断りしておくけれど、彼の名前は、今はリヴォンと書くようだし、実際の発音もそちらに近いのだけれど、ここでは昔から慣れ親しんだレボンで書きます。

ザ・バンドを初めて聴いたのは「ロック・オブ・エイジス(1972)」だったと思う。はっきり言って何がいいのか、ちっとも分かりませんでした。だって地味なんだもん。「ハイウェイ・スター」とか「アメリカン・バンド」とか「ハイ・ハイ・ハイ」とか「嵐の恋」とか聴いて喜んでた中学生にとってはね。ボブ・ディランのバックバンドとして・・・という情報は知ってました。それに倣って、岡林信康の「はっぴいえんど」とかよしだたくろうの「猫」とかもあったし。だけど、ディランと演っているザ・バンドの音源もない。まぁ今にして思うと「セルフ・ポートレイト(1970)」とか「ウディ・ガスリー・メモリアル・コンサート(1972)」とかあったワケだけれど、まとまった音源でもなく、それに気づかなかったし、聴いたとしても「何だかなぁ」だったと思うな。

そんなザ・バンドの印象が変わったのは1974年のディランとの共演盤、スタジオ録音の「プラネット・ウェイブス」とライヴ盤「偉大なる復活」だった。前評判も高かったこの2枚、これがこの極東の地においては「初の本格的共演盤」だった。「プラネット」はFMで全曲放送したのでエアチェック、ライヴはお年玉(?)で買った。どちらも、かっちょいいではないですか!! で、あらためて「ロック・オブ・エイジス」を聴くと「偉大なる復活」のザ・バンド単独部分よりも更に良い! という具合にザ・バンドとのお付き合いは始まっていく。

レボンを生で見たのは3回。1977年ザ・バンド解散直後のRCOオールスターズ、1989年リンゴ・スターのオールスター・バンド、1994年再編ザ・バンド。1983年と87年にも再編ザ・バンドとして来日しているけれど、これは行けなかった。というか来日していることを知らなかった。以前、お客さんの学生Oくんが「ロック好きのオトナの人って必ず聴いていない時期があるんですよねぇ。」と不満げに語っていたけれど、オトナには仕事だったり子育てや家庭の事情だったりと、趣味にかまけていられない時はあるのだよ。このへんが僕の第一の暗黒時代。

83年のライヴは後にVHSとレーザーディスクでソフト化された(DVDにはなっていないけれど最近CDが発売された。)から、疑似体験はできる。リチャード・マニュエルがいる、ということが感激モノなのだけれど演奏自体はバック(サポート?)に連れてきたケイト・ブラザースとミックスされたような音でイマイチ感もある。が、87年はリチャード没後間もなくのライヴで編成は残った3人にギターのジム・ウィーダーを加えただけのコンパクトな編成。このギターの人はこれ以降の再編ザ・バンドにずっと在籍する、結構いいギターを弾く人だし、ビデオ撮りもされていないと思うので、この時に見に行かれた方はたいへん貴重な体験をされていると思う。RCOオールスターズは何か「伝説のコンサート」みたいになっていて、いろんな人がいろんな所でいろんな事を書いているけれど、87年来日公演の様子は全く分からない。どなたか行ってませんかぁぁ?

で、そのRCOオールスターズ来日公演。当時、東京に出てきたばかりの大学一年生。仕送りのお金もレコードを買いすぎて、ほとんど無かった。同時期にリック・ダンコも来日だけれど両方は行けない。行くならレボンか。同級生を誘ってみたら「それだけの金があれば10回、学食でメシが食えるじゃんか。」と言われたので「10回、メシを抜けば行けるんだぞ。」と言い返したら、フフンと鼻で笑われてしまった。当日になってもウジウジ悩みつつ授業に出ていたりしたのだけれど、どうにも落ち着かない。意を決して授業を抜け出し、一人で会場の渋谷公会堂へ。

渋谷公会堂は、ネーミング・ライツとやらで、CCレモン・ホールと改称されていたけれど、この度、サントリーさんが契約更新せず他のスポンサーも現れなかったため、元の渋谷公会堂の名前に戻っている。僕ら世代には、それでヨシ、なのだけれど、この先「昔は、CCレモンホールって言ってねぇ。」「あぁ懐かしいね、シブコーなんて、しっくり来ないねぇ。」なんて世代も作ってしまっているのだろうね。

それはともかく。当日券を買って、ステージから一番遠い席での観戦。観客は99%が男性、しかもおじさん。(と言っても18歳の僕から見て、であって、20歳代後半から30歳代くらいが中心か。今のように観客白髪だらけ、なんてことはない。) レインボウ札幌公演での死亡事故から、そんなに経っていない頃でもあり、走るな、暴れるな、の注意事項がステージ上の係りの人から告げられ「今日のお客さんはやらないと思いますけれど。」と付け加えられると、観客席から失笑が漏れた。

パフォーマンスは最高。ドクターもポールバターもいなかったけれど。RCOのアルバム収録の「シング・シング・シング」が良かった。ボーカルもいいんだけれど、やっぱドラムがいい。後のライヴでマンドリン弾いたりハモニカ吹いたりばっかりしているのを見ると「そんなことしてないでタイコ叩けよ」と思ってしまう。途中、レボンがスネアをタンと叩いて「Thank you,YAMAHA!」と。ヤマハがセットを提供したんでしょうね。この頃からヤマハはドラム・メーカーとしても世界的なメーカーになっていく。

コンサート終了後、ステージ上から「明日の前売り券もまだあります。明日は凄いゲストも登場します!」とアナウンスが。帰ろうとしていた人たちが「ロビーか?」「ロビーが来るの?」と足を止めた。うん、当時、レボンとロビー・ロバートソンが不仲だなんて日本中の誰も知らない。「明日はボビー・チャールズが参加します!」とアナウンスされると「何だ、ボビー・チャールズかよ」とみんな帰っちゃった。今から思うと、たいへんもったいない話。ま、僕はお金がないので、どうせ行けなかったのですが。

「伝説のコンサート」と言ってもチケットは売り切れていなかった。キャパ2000人の渋公で。ウッドストックで40万人の前で演奏し、ワイト島でも、そしてワトキンス・グレンでデッドとオールマンズとの3バンドだけで60万人を集めたバンドの主要メンバーでも。しかし、それでもホール・コンサートで「ほぼ」満席。再編したザ・バンドはアメリカではライヴハウス・クラスの会場で、ごく少ない観客を相手にツアーを続けていたという。86年にリチャード・マニュエルが自殺する直前、「自分が堕ちていく気がする」と言っていたという。(83年の来日公演でホール・コンサートをやれて気分は少し上がったらしいが。)

「一介のバー・バンドとして」少ない観客でも演奏していたかったレボンと、上昇志向の強い「音楽業界一いけすかない成金野郎」とまで言われたロビーとの間に挟まれて、リチャードはドラッグと酒の力を借りて自滅していったようにも思う。ザ・バンドのリーダーであったレボンは、才能豊かな若者ロビーにバンドを乗っ取られてしまったような悔しさとか嫉妬とか、そういう感情もあったのではないか。

しかし。レボンは著書の中で「リチャードがリードボーカルだと思っていた」と書いているけれど、ロビーの書く曲はレボンのボーカルに一番しっくりくる気がする。(リチャードの「名唄」はカヴァー曲に多い。) ロビーはリーダーのレボンのためにああいう曲を書いていたのか、レボンのボーカルがロビーにああいう曲を書かせていたのか。分からないけれど、レボンとロビーの中だけの化学反応はあったし、ザ・バンドの5人の中にも「魔法」があったことは間違いない。

ザ・バンドの5人のうち、リード・ボーカルを取っていた3人、自然に自由に生きていたような3人が亡くなり、理論派のような2人が生き残った。レボンの死の直前、ロビーが見舞いに訪れたという記事も見た。2人は和解できたのだろうか。天国に行ったレボン、リチャード、リックの3人で「ロビーのクソガキも根はそんなに悪いヤツじゃないんだけどな」なんて言いながら、呑んだりセッションしたりしていてくれることを。合掌。

HANJI






ライブ・アット・パラディアム1977
レボン・ヘルム&RCOオールスターズ


ライヴ・イン・トーキョー1983
ザ・バンド

ロック・オブ・エイジス
ザ・バンド

ボブ・ディランとの共演などの未発表曲を含む完全盤。

偉大なる復活
ボブ・ディラン&ザ・バンド

流れ者のブルース

ザ・バンド伝記本。読み応えあり。

ザ・バンド 軌跡
リヴォン・ヘルム

自伝。後半はロビーへの罵詈雑言。現在アマゾンで入手不可。上の本もこちらも七面鳥カフェに置いてあります。

2012年04月03日

vol.76 見た目も大事なエレキギター

4月、新年度ですね。店の向かい側の青学高等部の改築工事も、そのエリアはほぼ終わって、ちょうど正面に新しく植えられた桜の木に蕾みがついていたりして、うん、眺めも好くなったなと。

中学2年になった息子が、こないだからベースを弾き始めた。友達の家に行ったら、その友達のお父さんのギターやベースが何本かあって「俺、ギターやるから、オマエ、ベースやれよ」と。で、「2万円くらいでベース買えるから、お年玉の残りで買えば?」と言われて、どうしようかなぁと。いや、買わなくたって、家にベースあるじゃん。僕の愛器、ナビゲイター・プレジション・モデルつや消しサンバースト1979年製エボニー指板クロサワ楽器特注モデルを貸してやることにした。

プレジション・モデルというのは、米国フェンダー社のプレジション・ベースのコピー・モデルということ。今でも国産のそういったコピー・モデルは多数販売されているけれど、70年代はおそらく90%くらいがフェンダーかギブソンのコピー・モデル。オリジナルなカタチのエレキギター、エレキベースを出していたのは、ヤマハなどごく少数だった。

ところが60年代、エレキギターの第一次ブームの頃はほとんどがオリジナルなギターだった。当時の一流国産メーカー、グヤトーンやテスコのカタログには、ピックアップが4つあるもの、アップライトのエレキベースなどかなりユニークなものもある。店に飾ってあるセミアコのベースは60年代のグレコ製(だと思う。)ヘッドのグレコのロゴがギブソンに似せたGを使ったものじゃない、筆記体のロゴだ。70年代にはコピー・モデル一色だったグレコも、その前にはオリジナルなモデルを作っていたらしい。

60年代から70年代の変化、オリジナルからコピーへという流れは何だったんだろう? フツーはコピーから始まってオリジナルに向かうと思うのだけれど・・・。

そもそも、あんなデザインまるごといただき、のコピー・モデルって違法じゃないのか? 中国のパクリ・ディズニーやいんちきドラえもんよりも、そっくりに作っているのに。と思って調べてみたら、ちゃんと裁判になっていました。

21世紀になったあたりで、米国ギブソン社が日本のコピーモデル・メイカーを提訴。結論から言うと平成5年東京地裁原告(ギブソン)敗訴、平成12年東京高裁控訴審原告敗訴。

判決理由を平たく言うと「確かにパクリなんだけど、レスポール・モデルなんか30以上のブランドから出ていて、それを20年以上も放ったらかしにしていたんだから、今さら言ってもダメよ。」と。ギブソンは「だって知らなかったんだもん」と反論しても「もう、レスポール=ギブソン・レスポールじゃなくなってる」、つまり例えば、液晶テレビと言えばソニーでもパナでもシャープでも似たような格好をしているワケで、レスポールもそういう「エレキギターの一般的なスタイル」になっちゃってる、ということか。

うーむ、確かに、あまり権利を認めすぎると、何かを作ったときに「他の何かと似てないか」と萎縮してしまうのだが。

それでもこの判決には釈然としない。エレキの場合は、ホントに「まんま」だからね。ピックガードのカタチを変えるとかもしてない。ロゴだって、昔はギブソンかフェンダーのロゴに似せるのが、多かった。グレコとかフェルナンデスとかの頭文字がGかFなところはもちろん、トーカイのTはフェンダーのFに似ていたし、通販専門の廉価ブランドのTomsonがGibsonそっくりのロゴだったりと。

判決では「コピーモデルの氾濫によってギブソンの名声はかえって高まった」と賠償も認めなかった。どちらが「平和に収まるか」で判断すれば判決を支持に違いないのだが、そこに「正義」は無かったとも思う。

ところで、僕が中学生の頃、70年代の初め、家にリッケンバッカーのコピーモデルのギターがあった。兄貴がどこからか入手してきたのだと思うけれど、メーカーも分からない。そこで、インターネットもメールも無い時代の中学生はいくつかのギターメイカーにお手紙書きました。「こんなギター、オタクで作っていませんでしたか?」と。そしたら、グヤトーンさんからたいへん丁重なお返事が。「当社でもリッケンバッカーのコピーは作っていましたが、おそらく違うと思います。当時はハニーというメイカーも作っていました。参考までに当社の当時のカタログを同封します。」と60年代の多少くたびれた大変貴重なカタログも。感激しました。感激のあまり、アホな中学生はお礼状を書くのも忘れてしまったかもしれません。この場を借りて、あらためて御礼申し上げます。40年越しの御礼です。受けたご好意が複利計算なら、たいへんなことになってます。みんな、グヤトーン製品、買おう! 今も東京サウンドと改称して活躍中。

70年代、ロリー・ギャラガーが来日した際、「グヤトーンのマローリというギターを探している」と。その頃でも既に廃版、全国探しまくって無事渡せたということがあった。その後、復刻モデルも出たりしたのだけれど、そういったちょっと珍しいカッコのギターは「ビザール・ギター」で検索すると色々出てきます。ギブソン、フェンダー、リッケンバッカー、グレッチあたりがメジャーで、ビザールの範囲は、ジミー・ペイジが使ってたダンエレクトロや、ブライアン・ジョーンズのVOX、ブルーズマン好みのKAYなんかも入るらしい。こういうのって、写真を見ているだけでも楽しいって何なんでしょうね。

HANJI

2012年03月12日

vol.75 哀しみのコレクターたち

前回、「集団行動が苦手」と書いたけれど、ロック界でそんな「孤高のギタリスト」と言えば・・・・ハイ、やっぱり前回書いた「ワールド・ロック・フェスティバル」にも出ていたジェフ・ベック氏なのですね。

「ワールド・ロック」の時のジェフ・ベックは凄かった。トリの出演だったのだけれど、風邪をひいて高熱を出したとかで北海道到着が遅れに遅れて、死ぬほど待たされての登場。一緒に行った友人たちのうち一人は終列車がなくなるからと帰っちゃってるし。待たされている途中、「今、ジェフ・ベックが千歳空港に到着しました!」とかのアナウンスもあって。だから今にして思うとサウンドチェックとかもしないで演ったんだよね。

名盤「ギター殺人者の凱旋(ブロウ・バイ・ブロウ)」発売直後のパフォーマンス。メンバーもほぼ同アルバムのメンバーでドラムスだけバーナード・バーディにチェンジ、つまり名盤アルバム録音時よりさらに良いとも言えるメンバー構成。

ギターの音色や表情の変化など、とにかく高熱出してフラフラというのが信じられない素晴らしさ。

と思っているのだけれど、今、これを書いていて「本当にそうだったんだろうか?」という疑問もある。なにしろ、当時、高校生、コンサート初体験。同じ時のニューヨーク・ドールズもスゲエって思ってたんだけど、後年、東京でのパフォーマンスがCD化されたので買ってみたら、意外と大したことなかったし。それに90年代に再編ザ・バンドを見に行った時、ドラムス&ボーカルのレヴォン・ヘルムが高熱を出してたそうで、そうするとバンド全体が締まりのない演奏になっていて、キース・リチャードに「レコードと変わらない」と言われたザ・バンドの演奏力も高熱には勝てないのかと思ったこともあるしで。

ドールズがCD化されたのだから、ベックも録音されてたのかもしれない。関係者の方、もし素晴らしい内容だったら何とか許可を取ってCD化して頂きたい。でも大したことなかったのなら、CD化せずそのまま闇に葬り去って頂きたい。僕は良い思い出だけを持って墓に入ります。

うーん、僕にとってジェフ・ベックは「そこまで」なんだな、きっと。その時に感動したので、その後、ベースのスタンリー・クラークと一緒に来日した際も見に行ったのだけれど、ちょっと付いていけない感があって、というのもあるかもしれない。

「そこまで」というのは、要は「愛の深さ」の問題です。真のファンなら、ダメな時も含めて全てを認めなければね。

TOTOのコピーをおじさんバンドで演っているという常連Iさん、昨年、TOTO来日公演に行って来たというので「どうでした?」と訊いてみたら「ウン、思ったより良かったよ」と。思わず笑っちゃったけれど「愛」を感じるコメントですねぇ。その前の時がひどかったとのことだけど、もはやTOTOには何も期待していない、期待はしていないのだが、東京に来るのなら行かねばなるまい、オレが行かずに誰が行く、行って良ければ全て良し、行ってダメでもそれも良し、貴殿らの行く末をこの身体朽ち果てるまで見届けましょうぞ、と。

いや、そこまで大袈裟なことじゃないのかもしれないけれど、あるミュージシャンのレコード、CDなどをコンプリート・コレクションするというのは、そういうことなんだよね。単なる物欲、自慢のタネ、ということもあるけれど。名盤とか評判のいいのだけを聴くのは、今、流行りの「安全・安心」かもしれないけれど、それは上っ面だけでもあるワケで、駄盤も聴かねばそのミュージシャンの全貌はつかめないし、その「ダメダメぶりの良さ」みたいなのも分からない。

そういうところに興味を持つとコンプリート・コレクションからブートレグまで手を延ばしていくことになり。昔のレコードをCD化する際にボーナス・トラックとして「未発表音源」がつくことが多いけど、そんなのは、そういう人たちにのみ意味があるものだよね。本来、完結すべきところで終わらないボーナス・トラックには功罪の罪のほうが大きいかもしれない。未発表音源は小出しじゃなく、まとめて出してほしいな、と。

昔、ビートルズの未発表ヴァージョン集の「アンソロジー」が発売された時、すごい話題になっていたのだけれど、友人のビートルズ・ファンに「買った?」と訊いたら「買わないよ。だって出来損ない集でしょ?」と。いや、それはそうなんだけど。初めて聴いたビートルズのアルバムは「アンソロジー」という世代もあったりして、それもちょっと不幸な気もする。

コンプリート・コレクションを目指すと言っても、質の低いアルバムを出し続けたり、未発表曲をだらだら出し続けたりされると、だんだん辛くなってくるのも事実。どこまで揃えられるかは、愛とフトコロの大きさに掛かっている。。。

ところで、ジェフ・ベック。「アームズ・コンサート」での珍しくボーカルをとった「ハイ・ホー・シルバー・ランニング」の自信なさげな歌いっぷりと歌い終わった後のハニカミ王子ぶりが素敵です。

HANJI






トーキョー・ドールズ・ライヴ


ワールド・ロック・フェスティバル東京公演。メンバー自体、本来のニューヨーク・ドールズとは言えないのかもしれないが。


ギター殺人者の凱旋
ジェフ・ベック

名盤。ジェフ・ベックは元祖ハードロックであるとかの顔もあるけれど、現在の活動の起点はこのギター・インスト・アルバム。プロデュースをビートルズのジョージ・マーティンに依頼したら「キミの好きなようにやってごらん」と言われ、こんなん出来ましたとさ。

アームズ・コンサート

泥酔したジミー・ペイジのくねくねぶり、超高速の「レイラ」、ウィンウッドのクソ真面目好青年ぶりなど見所多数。

2012年02月14日

vol.74 日本人ジョー

僕には珍しく1月の前半にこの原稿を書き終えて、2月早々にアップするつもりだったのが、パソコンが壊れてしまい、結果こんな時期になってしまった。世の中そんなもん。で、しかも中身は、去年書こうと思っていて書きそびれていたこと。

ジョー山中。2011年8月没。1977年の角川映画「人間の証明」(母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?)の出演とテーマ曲のヒットで知られているけれど(たぶん)、その前の、海外進出も果たしたフラワー・トラベリン・バンド(1970~73)のボーカル、JOEとしての印象が僕には強い。

JOEを生で見たのは、1975年と翌年の、内田裕也プロデュースによる「ワールド・ロック・フェスティバル」。一回目の出演は、海外からのジェフ・ベック、フェリックス・パパラルディ、ニューヨーク・ドールズに日本側がクリエイション、四人囃子、カルメン・マキ&OZ、コスモス・ファクトリー・・・etc、あ、もちろん裕也さんも。後楽園球場他、全国数箇所で行われ、高校一年生の僕は札幌の真駒内アイスアリーナで見たのであった。このフェスのテーマは「海外のミュージシャンと日本のミュージシャンを同格に扱う」こと。当時、海外バンドの日本公演ではたいてい日本のバンドが前座に出ていたし、まぁそういう身分の違いがあったのだけれど、裕也さんはそれを変えようと。ま、だから「フジロック」なんかのさきがけと言えるかもしれない。で、JOEは、パパラルディを中心にギター竹田和夫(クリエイション)、森園勝敏(四人囃子)等で編成されたフェスティバル・バンドでメイン・ボーカルを務めた。フラワー時代のロック・バラード「ウーマン」のひざまずいての絶唱はまさに圧巻!だった。

このフェスのテーマを考えると(いや、考えなくとも)、「目玉」はジェフ・ベックだったとしても、真髄はフェスティバル・バンド、中でもJOEのボーカルであったし、事実、ベックと同じくらい凄かった。出演バンドそれぞれのパフォーマンスは、裕也さんの意図に反して、海外と日本のレベルの差を実感させてしまったような気もするけれど、このフェスティバル・バンドだけは世界と日本の距離がなくなったと思わせた。

で、問題なのが翌76年の第二回。会場は東京と札幌のみに縮小、しかも東京は後楽園球場からよみうりランドになって何やら都落ち的なカンジも。そして出演者、特に海外組は激しくスケールダウン。だってスゥィートとロン&デレクだけなんだもん。百歩譲ってスゥィートが前年のニューヨーク・ドールズと同格としても、ロンとデレクがベックとパパラルディに匹敵するワケがない。日本組は四人囃子、ハルヲフォン、ファー・イースト・ファミリー・バンド、テツ・ヤマウチ、コスモス・ファクトリーもいたっけ? クリエイションはパパラルディと全米公演中で不参加。

さて中身。前年はスタンド席だったけれど今回はアリーナ席の左スピーカー真ん前の席が取れていた。にも関わらずプログレ系のバンドの時はほとんど寝ていた・・。だって当時、泊り込みで牧場のアルバイト中、毎日5時起きの肉体労働で一日だけ休みを貰って観にきていたんだもん。若くても体力の限界。

フリーの末期に参加、そしてロニー・レインの後釜としてフェイセスの末期にも正式メンバーとして参加した「世界のベーシスト」テツ・ヤマウチの凱旋帰国パフォーマンス。期待していたのだが・・・・ギター弾いて歌を歌いやがった。ベースはなし。なんだよ、それ?歌もギターもヘタクソだし。

ロン&デレクも予想通り。この人たちは、ビートルズのアップル・レコード所属なのだが、後にアップルから出ていたレコード、バッド・フィンガーやメリー・ホプキン、ビリー・プレストンなどなど、中古市場で軒並み高値を付けている中、唯一、プレミアが付かなかったという、筋金入りのしょぼい人たちなのである。

さて問題はこの後起こった。JOEが手に日本刀を持って(頭に日の丸のハチマキもしていたような)一人で現われ、「スゥィートの奴らは生意気だ!あんまりエラソーにしやがるからオレが日本刀で脅かしたらビビッて逃げやがった!」と。会場、「おぉー!!」と盛り上がるが、オイラは「え~」と落胆。ま、フェスの目的が「海外と日本を同格に」なんだから、スゥィートの皆さんには趣旨をご理解頂いてなかったようではあるけれど、見たかったな、スゥィート。

そもそもJOEは喧嘩っ早く、しかも強いので有名なのであった。元プロボクサー。黒人米兵と日本人の母の間に生まれ、だからこそ、その運動能力や歌唱能力を持ち得たのかもしれないけれど、当然、苛めや差別はイヤというくらい経験してきたのだろう。黒人「的」なルックスを持つ彼は、周囲から「日本人」と認められなかったために、ことさらに「日本人」としてあろうとしていたのだろうか?

40年前はそうだった、という話でもない。昨年末、テレビのワイドショーでサッカーのハーフナー・マイクを「ガイジン」扱いしていたとネット上で問題にされていたけれど、彼は「オランダ系日本人」なのである。しかし、そういう概念はフツーの「日本人」にはあまり無い。未だに。たぶん。

その前にノーベル賞を受賞した二人の「日本人」。これも一人はアメリカ国籍を取得した「元・日本人」、正確には日系アメリカ人(一世)なのだが、報道は「二人の日本人」と言い続けていた。

ま、何をもって「日本人」とするかの話をするとややこしくなるのだが。

震災から一年、今年はオリンピック・イヤーでもあるので、ことさらに「日本人」であることを強調されそうな予感もするのだけれど、少なくとも「欧米のロックを聴くなんて非国民」なんて言われる世の中にはなってほしくない。

僕自身は日本人であることに誇りを持ったことも無ければ、日本人であることを恥ずかしいと思ったことも無い、というか、ま、どっちかというと団体行動が苦手だし集団の一員であることに何か居心地の悪さを感じてしまうので、「日本人」であることにあまり拘りたくないな、という気持ちはあるのだが、JOEに関してだけは言っておきたい。彼は「日本人最高のロック・ボーカリスト」だった。

HANJI





メイク・アップ
フラワー・トラベリン・バンド

1973年。「ウーマン(Shadows of Lost Days)」収録。「SATORI」もいいけど、こちらもね。

2012年01月05日

vol.73 幻の50年

あけましておめでとうございます。先月はコラムをサボってしまったので、お礼も言ってませんでした。旧年中はありがとうございました。今年もよろしくお願いします。

と、2012年ですね。2012年とはどういう年かと言うと、1962年から50年ということです。つまり。。ビートルズ・デビュー50周年なんですね。ディランもデビュー50周年。こんなにキリがいいのは、今後50年は訪れないという節目の年。ということは、新年早々、来年以降のことを言うと鬼が笑うワケですが、来年以降はビートルズ全英制覇50周年、世界制覇、来日、ペパーズ・・・それにストーンズ・デビュー50周年、クラプトン・デビュー・・・もうとにかく何でも50周年が目白押し。レコード会社各社におかれましては、各種キャンペーンの準備にお忙しいかとは存じますが、まぁ何でも50周年がこれから10年以上は続くんだから、途中で飽きちゃうかもなぁ、と、そんな先のことを心配しても。。。

端的に言うと、怒涛の60年代は50年前のことだってこと。50年。まさしく「歴史」の世界。僕なぞは「50年前」と聞くと、自分の年も忘れて「戦争中ですか?」と言ってしまいそうなくらい、歴史的時間。ロック・レジェンドという言葉はキャッチコピーや誇張ではないってことなんだな。

「教科書に載る」。教科書に載るほどの・・・ってのは、世間一般的には褒め言葉として使われているのだけれど、ロック者としては、それはどっちかというと「恥」、なんじゃないかと。が、もうホントに「歴史」なんだから、むしろ教科書に載せるべき事なのかもしれないな。(もっとも、今の英語の教科書で既に「エボニー・アンド・アイボリー」なんかも載ってるのだけれど。) ま、実際は、歴史の授業なんて政治経済が中心で文化面の比重は軽いし、しかも現代史だから、学年末試験が終わった後にせいぜい「ボブ・ディランが公民権運動でビートルズがイェーイェーイェーでした」くらいのもんなんだろうけど。

次のキリのいい年、ビートルズ・デビュー100周年まであと50年(当たり前だけど)。今、ハタチの若者は70歳になる(だから当たり前だって!)。僕は生きていたとしても100歳超え、たぶんもう「ボブ・ディラン? あ~ワシャぁ粒あんのほうが好きだなぁ」なんて調子かも? 先月のクラプトン来日公演も観客はオジサンだらけだったらしいけど、こういうロック・レジェンドのコンサートは若者にこそ観てほしい。歴史の生き証人になれること間違いなし。(もっとも、あと50年たったらSF映画に出てくるスーパーリアル3D映像の生中継でライヴは家で見るのが当たり前、「コンサートって何ですかぁ?」とか言われたりするのかもしれないけれどね。)

「ビートルズの再来」とキャッチコピーがついたバンドはあったけど、ほとんど一発屋のポップロックバンドだった。じゃ今後、ビートルズ級、ディラン級のロックバンドが出てくる可能性はあるのか? 答えはたぶんNo。だって「ロック」ってジャンルはもう終わっているから。ビートルズ級の音楽がもし新たに生まれてくるのなら、それは未だ名前もない新しいジャンルの音楽なんだろう。

昔、よしだたくろうが「古い船をいま 動かせるのは 古い水夫じゃないだろう/古い水夫は知ってるのさ 新しい海のこわさを」と歌ったけれど、実は、古い船は古い水夫も新しい水夫も動かしている。新しい海って、出てみると意外に怖いもんでもなかった。それでも、古い水夫が動かす古い船を体験できるのもあと僅か。新しい水夫は古い船の動かし方を古い水夫から学ぶ。古い船に満足できない新しい水夫は、新しい船を動かす。

そんなワケで、今年も古い船の魅力を語っていこう、と新年らしく気合いを入れて。で、今年の抱負を。「今年こそミシュランの三ツ星を取る!」なんじゃ、そりゃ。ウソですよ、もちろん。

HANJI







パスト・マスターズ

ザ・ビートルズ


本当はデビューアルバムの「プリーズ・プリーズ・ミー」を紹介して「冒頭の1、2、3、4のカウントが新しい時代の幕開けを・・」とか書こうと思っていたのだけれど、よく考えたらアレは63年の発売で、62年中は10月にシングルの「ラヴ・ミー・ドゥー」しか出していないのであった。







ボブ・ディラン

ボブ・ディラン


62年3月発売のデビュー盤。もう神様を通り越して(?)、妖怪の域に達したディランも50年前はこんなに可愛い青年なのであった。デビューヒットと思いがちな「風に吹かれて」はセカンドアルバム収録。ここでは殆んどカヴァー曲。


2011年11月19日

vol.72 E.C.1977

えと、常日頃、各方面からアナログ人間とお褒め頂いているワタクシですが、実はこの原稿、いつもパソコンでカナ入力で書いているのです。中学生の頃、英文タイプライターで遊んでいたりしたのでアルファベットの位置は分かっていたけれど、ワープロ導入時にカナ入力を教わって、以来そのまま。

つーか、ローマ字で書くのは、とてもヘンなカンジがする。Gureitofuru deddo。何だか分からないでしょ? Grateful Deadか素直にグレイトフル・デッドと書きたい。Reddo Tuepperinn。は? 一瞬、レッチリに見えた。Iesu。ユダヤ人ぽいな。いやキリストさんはユダヤ人だけど。Erikku Kuraputonnなんて、タンジェリン・ドリームにいた人だっけ?みたいに見えちゃう。そんなEric Clapton氏、ただいま来日中。

今回も僕は参戦できないので、何人かの常連さんからはご報告いただくことにはなっているのだが、それだけでは口惜しいので、僕の初クラプトン参戦記でも書いてみようかと。

時は1977年。この頃、僕は北海道の田舎の高校生。クラプトン三回目の来日で初めて札幌まで来てくれたので、友人と一時間余り、汽車(電車ではない)に乗って、見に行ったのであった。

それにしても、情報とか体験とかの世代間格差はどうしてもあるのだけれど、実は同時代でも地域間格差が激しくある。ディープ・パープルの武道館だってグランド・ファンクの後楽園だって、北海道の中学生は見に行けるワケがない。クラプトン以前に北海道まで来た外国のミュージシャンはごく僅か。輸入盤や海賊盤のレコード、中古レコードだって、札幌まで行かなくちゃ買えない。

なのでその時も早めに出て、クラプトンを見る前に中古レコード屋に。札幌リズム社という、ちょっと変わったレコ屋があった。(たぶん今はもうない、と思う。) 普通の民家の玄関にレコ棚を付けただけのような店内。タタキのところに座ってる店主のおっちゃんは、ステテコ、だぼシャツで寺内貫太郎のよう。そして、ここでレコードを買うと何故か、ヒゲソリとか石鹸とかをオマケにくれるのだ。

開演までの時間があまり無いので、手早く目ぼしい盤を2~3枚見つけて検盤、キズのところを「ここかけて下さい」と頼むとおっちゃん、レコードをターンテーブルに載せ、その面の最初からかけ始めた。「あのー、キズのところだけでいいんですけど」「えー、ゆっくり聴いていけばいいだろ?」「いやー、これからクラプトンなんで・・」「!! ナニ! クラプトンか!! そりゃタイヘンだ! ヨシ、飛ばない。買うか? ヨシ」てなことで、石鹸も貰って会場の真駒内アイスアリーナへ。

真駒内アイスアリーナは札幌オリンピックの時に作られた屋内競技場。武道館をちょっと細長くしたようなカンジでキャパは12000人くらいだったと思う。

アリーナ席最後方の席。が、その席にいたのは開演まで。クラプトン登場と同時に前方にダッシュ、そういう時だけ僕は足が速い。クラプトンに3mほどの位置まで到達。

その頃は、そういうことが出来たんですね。今は自分の席からちょっとはみ出しただけで警備員が飛んで来るけど、当時の警備員は強盗に襲われたコンビニ店員の如く、抵抗しちゃ危ないと指導されていたんだろうね。

主催者に一方的に決められた「指定席」に安住せず、オレはオレの見たい場所で見るのだと、主催者側の犬である警備員を「どけ!」と一喝し、前のめりに疾走する、その姿はロックである、と。まぁ、ケシカランですな、昔の若者は。事故でも起きたらどうするんですか?

実際、この数ヶ月後のレインボウ札幌公演(会場は違う)で女子短大生が前方殺到観客に押し倒され圧死するという事故が起き(ずっと高校生だったと思っていたけれど、今確認したら短大生だったらしい)、その直後から警備は厳重になる。警備されなくても、そんな事故が起きては聴衆もおとなしくならざるを得ず、それまで新聞紙上で「狂乱の宴」などと書かれたロック・コンサートの風景は一変した(はず)。

ニューミュージックマガジンなどを読むと、70年代前半のコンサートでは観客はどう振舞っていればいいのか分からなかったようで、度々、中村とうよう氏が苦言を呈している。あまりにも大人しくて、バンドがウケていないと思いアンコールをやらずに帰ったら暴動になった(ディープ・パープル2回目)とか、何もしていないうちからバカ騒ぎしてミュージシャンを怒らせたり(テン・イヤーズ・アフター)とか。コンサートの経験値が増えれば、そういったことは無くなるだろうという観測もあったけど、現実には78年の事故・警備厳重化をきっかけに「秩序を守って各々が楽しむ」姿勢ができたようにも思う。なんだかな。ロック文化が成熟した、という言い方もできるけど、「混沌が墓碑銘」のロックは死んだ、という気もする。

さてクラプトン。聴いたことのない、かっこいいギターリフからコンサートは始まる。この時にはまだ発売されていなかったニューアルバム「スローハンド」収録の「ザ・コア」。クラプトンは黒のストラトキャスター。あれが「ブラッキー」ってヤツだったんだろうな。初来日時は、そのへんで買ってきた白のテレキャス、二回目はナチュラルのエクスプローラという、それまでに使ってる写真を見たこともないギターを使っていた。弘法筆を選ばず、というか、初来日時は、やる気が無いとか日本をなめてるとか、散々批判されていたりしたけど、今回は本気か?

メンバーは74年からのレギュラーバンド、通称タルサ・トップスから女性ボーカルのイヴォンヌ・エリマンが抜けた陣容。一人残った女性ボーカル、マーシー・レヴィは張り切っている。途中、ソロ・コーナーもあって、プレスリーの「ワン・ナイト」など2曲ほど。パワフルで、キャシー・マクドナルドみたいなカンジ。

「いとしのレイラ」は超高速で、ピアノから始まる後半部分の無いバージョン。この頃は、どこに行っても「レイラ」ばっかり望まれるので嫌気がさしていた、というインタビューを読んだ記憶があるけれど、確かに、ハイ、やりましたよ、いいでしょ?というような、やっつけ仕事感はあった。

「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」かと喜んだギターリフは、違う曲だった。実は新曲「コカイン」。「サンシャイン~」をベースにした手抜き作曲かと思ったら、J.J.ケイル作。その後、こんなに人気の出る曲だとは思わなかった。いや、かっこいいんですけどね。

「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」とか「アイ・ショット・ザ・シェリフ」とかも演っていた、と思う。記憶力には自信がない。なので、その時にも帰ってすぐメモを書いて大事にとっておいたのだが、その紙をどこにしまったかも忘れてしまった。

とにかく。顔の表情もはっきり分かる距離で、僕がもし「怪物くん」だったら手を伸ばせば届く距離で、右前方を見上げればクラプトンがいた。レイドバック期のクラプトン。ま、どちらかというと腑抜けた表情が印象に残ってるワケで、クリームの頃の火を吹くようなプレイを期待していた向きには「手抜き」と言われてもしょうがないのかもしれないけれど、僕はヘラヘラしたクラプトンが好きです。

そしてアンコールの最後まで堪能してたら、終列車に乗り遅れて深夜喫茶で一夜を過ごすことになってしまった。・・・と記憶していたのだけれど、一緒に行った友人に確認したら、コンサート終了後にのんびり餃子定食を食べていて乗り遅れたと。そう言えばそうだった。どうやら最初から帰る気がなかったようですな。昔の若者はケシカラン。

HANJI





スロー・ハンド
これ以降のライヴで定番となる曲は「コカイン」の他に「ワンダフル・トゥナイト」もあるのだが、この曲は演った記憶が無い。定番になるのは「24ナイツ」以降か?






エリック・クラプトン・ライヴ
70年代クラプトンのライヴの基本は、この盤。






クロスローズ2
70年代のECのライヴを徹底的に聴くなら、こちら。4枚組みです。





プレイ・ザ・ブルース
新譜も出てます。ジャズのウィントン・マルサリスとの共演ライヴ。ブルースというよりジャズ、というよりデキシーランド・ジャズ、ニューオルリンズ・ジャズ。「アンプラグド」で演ってた「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」の拡大版。このテの音楽、僕は好きなのだけれど、クラプトンにもマルサリスにも似合わないような・・。楽しそうではあるけれど。マルサリスのバンドもカッチリ、お行儀良すぎ。ゲストのタジ・マハールは良い。将来、中古市場で暴落の予感。ま、とりあえず試聴してみて。





2011年10月18日

vol.71 芸術の秋は爆発なのだ

もうすっかり秋ですね。秋は「食欲」だったり「読書」だったり「芸術」だったり「スポーツ」だったり「収穫」だったりと何かと忙しいのだけれど、「夜長」だったりもするので、寝る間も惜しんでいろいろやる季節なのだ。で、「スポーツ」や「収穫」は無理だけど「食欲」や「読書」や「夜長」は七面鳥カフェで存分に楽しむことが出来るので、残る「芸術」?、ウン、夏に亡くなった中村とうよう氏が心から憎悪していたというクラシック音楽について書くのだ。

と見栄を張ってみても、クラシックについて僕はほとんど何も知らないのだ。「昔、中野にクラシックっていう喫茶店があってねぇ、そりぁもう・・・(続きは店で)・」って、関係あるような無いような。

「クラシック・ロック」。最初、この言葉を聞いたとき、ブルース・ロックとかカントリー・ロックとか言うようにクラシック音楽の要素を取り入れたロックのことを言うのかと思ってました。EL&Pとかね。クラシック・ロック=古典ロック、60年代・70年代のロックを指すらしいけど、ちょっと違和感のある言葉。古典という言葉には、古い、古くさい、という意味だけじゃなく、権威、体制、エラそーというニュアンスも含まれている気がするから。

去年だか一昨年だか三年前だかに大ヒットした「千の風になって」。クラシックの人が歌って異例のヒットということだけど、僕はどうしても馴染めない。「ワタシの~お墓のま~えで~・・」とか朗々とエラそーに言われてもなぁ、という。あんた、何様じゃい?と。あ、ホトケ様か・・・。

そう、クラシックはなんかエラそーなんです。何故、エラそーかというと、それは本来、貴族や王様のための音楽だから。中村とうよう氏が嫌悪していたというのも、おそらくその点。彼は大衆とか民衆とかいうところにスタンスを置いてたから。

では、そういう高貴な方たちのクラシックとシモジモの音楽であるロックは相容れないものなのか?

EL&Pやイエスなどのプログレッシブ・ロックやハード・ロック、ヘビメタ等の分野では「クラシックとロックの融合」みたいなトライアルは何度となく繰り返されている。プログレ系はクラシックの楽曲やフレーズをロック・バンドでの演奏に取り入れる、ハード&ヘビメタ系はオリジナルの楽曲をクラシックのオーケストラと共演する、といった傾向があるようだけれど。

が、どちらにしても何となく、ロックのプレイヤー側にクラシックに対するコンプレックスみたいなものがあるような気も。クラシックやりたかったけど、挫折してロックの道へ、みたいなね。実際、技術的にはどうなんだろう? 音大出身の友人にきいてみた。

例えば、キース・エマーソン。プロのクラシックのピアニストに比べると、ま、話にならないレベルだそうだ。まぁ予想通りの答え。じゃあ、キース・エマーソンが東京芸大のピアノ科を受験したら合格できる? 「うーん、東京芸大は無理でも、ジュリアードは受かるかもしんない、みたいなのはあるかも」と。そんなレベルか???? ちなみにチック・コリアはなかなかイケてるそうで、やはり技術的には、クラシック>ジャズ>ロック、という世間一般の常識は当たっているらしい。

なので、クラプトンとジェフ・ベックだとどちらが「上手い」か、などという議論は、偏差値36の大学と38の大学のどちらが優秀か、みたいな話でほとんど意味がない。が、どちらが仕事ができる(お金が稼げる)かとなると、偏差値75のクラシックの方よりも偏差値36のロックのほうが上だったりもする。

クラシックのコンサートのチケットはやたらと高いけれど、実はあらゆる音楽ジャンルの中で最もコスト・パフォーマンスがいい(観客にとって)のは、クラシックらしい。ロックでドーム・クラスのミュージシャンなら、たぶん本人もバック・ミュージシャンもスタッフもプロモーターも、みんなウハウハ。でも、クラシックはスポンサーの協賛金や文化庁の補助金やら全部つっこんで楽団員は薄給で、それでやっとあの値段。

クラシック界のみなさんも、これではイカン!と思ったのかどうか、近年、きれいなお姉さんたちが演奏するクラシックが流行っている。こういうのはヴィジュアル系というか、ポップ・クラシックとでも呼んだほうがいいのかも。僕は決してキライじゃないのですが、某指揮者の本を読むと「あんなのはクラシックじゃねえ!」という意見も。うーむ、「産業ロックなんかロックじゃねえ!」とか「AORに走りやがって!」とか、同義語だな。

音大出の友人に、そのへんどうよと訊くと「まぁ、音楽的にはねぇ・・。ただ、ヴィジュアル系というだけで過小評価されている人もいると思うけど・・ピーター・フランプトンみたいな」。ナルホド。

「クラシックとロックの融合」はプログレ誕生以前、67~68年あたりの「アート・ロック」と呼ばれていた頃に端を発すると思う。ではそれが、クラシックという「権威」に擦り寄っていくような反ロック的な動きかというと、そんなことはない。未だ誰もやったことのないことに挑戦していくという非常にロック的なものだと思う。例え、へたっぴーのコンプレックスの塊であっても、やってやろうじゃないのというバクハツはゲージュツなのだ。

EL&Pの「展覧会の絵」を聴いてから40年近くたって、こないだ初めてクラシックの「展覧会の絵」を聴いた。ダメだね、そんなことじゃ。きれいなお姉さんたちの中からクラシック界のピーター・フランプトンを見つけるのも楽しそうだ。

ところで。こないだ三回目の結婚をした「懲りない男」ポール・マッカートニー。ビートルズ時代に「ナット・ア・セカンド・タイム」はイオニア旋法を用いた素晴らしい曲だ、とクラシックの人(バーンスタインだっけ?)に評されたことについて「未だにイオニア旋法ってのが何のことなのか分からない」って言ってたけれど、交響曲を2曲も書いた人がそれじゃダメなんじゃないの? イオニア旋法とかエオリア旋法とか、高校の音楽の教科書に載ってますぜ。

HANJI



展覧会の絵
1971年。

エマーソン・レイク&パーマー

ムソルグスキーのピアノ組曲(後にラヴェルが交響曲にアレンジしたものが有名)をベースにしたプログレの名盤。




それの映像版。昔、NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」で放映された。オルガンにナイフを突き刺す狂乱のパフォーマンス。映像処理も狂乱ぎみだが。




ギャラリー・フェイク 4
細野 不二彦

「展覧会の絵」の絵の作者はガルトマンという画家だそうで。




はげ山の一夜
1974年。

ボブ・ジェームス

ムソルグスキーをもうひとつ。あ、ロックじゃなくてクロスオーバーか。




ディープ・パープル

1969年、黄金の第二期パープルは、ここからスタートした!ロイヤル・フィルハーモニーとの共演盤。クラシック好きのジョン・ロードの夢叶う、と言うか、ハードロック路線に行く前に一回だけ好き勝手やってみた、踏ん切りをつけたのかもね。LP時とはジャケが違う、と思ったら、CD二枚組で当時未発表だったパープル単独ライヴ部分をdisk 1に収録。




ライヴ・アット・ザ・アルバート・ホール
ディープ・パープル

ジョン・ロード先生、30年後の1999年にもこんなことやっていた。ロンドン・シンフォニー・オーケストラとの共演盤。ギターはスティーヴ・モース、ボーカルはロニー・ジェイムス・ディオ。




コンチェルト・ライヴ・イン・ジャパン・ウィズ・新日本フィルハーモニー交響楽団
2001年。

イングヴェイ・マルムスティーン




リバプール・オラトリオ
1991年。

ポール・マッカートニー

ポール先生作曲の交響曲(? 交響曲の定義が今イチ分かってないかも)。




スタンディング・ストーン
1997年。

ポール・マッカートニー

第二弾。


2011年09月16日

vol.70  晩夏の夜のジャズ

七面鳥カフェはロックの店なので、四六時中ロックをかけているワケなのだけれど、ずぅーっとやっていると、流石に飽きてくる、というか、何か煮詰まってくるんですね。あぁ、またコレかけちゃったよ、みたいな。夏バテ?かな?ロックというのは、グルーヴがどうのとか言う以前にまず、基本的にギターサウンドの音楽なんであって、ならば、ギターじゃないヤツを。と言っても、ELPやリー・マイケルズ(キーボード+ドラムスのみで演ってる)なんかを聴いても閉塞感は晴れない。で、ここんとこ何となく「管楽器の音っていいよなぁ」と。

ジャズ、か。ジャズは高校生の頃にある程度聴いていたけど、その後けっこうご無沙汰。三十数年ぶりに聴くと感じ方も違ってくるかも。ちょっとまとめて聴きなおしてみよう。

まず、お客さんのいない時を見計らって、マイルス・デイビス「オン・ザ・コーナー」を。ロックっぽい、というかエレクトリックなマイルスは、高校生の頃は「ビッチェス・ブリュー」で付いていけなくなったからなぁ、どうなんだろう・・・。あれ?いいじゃん!打楽器なんか、ずっと同じことやってるんだけど、なんかメチャクチャ楽しそうだ。機械的なループとかじゃない、ニマニマしながら叩いてる姿が目に浮かぶ。と、そこに常連KKさんが。「あ、これ、オレ大好きなんですよ」と。おぉ、そういう趣味もあったのね。

「オン・ザ・コーナー」が良いなら、やっぱり高校の頃にはダメだったジョン・コルトレーン「至上の愛」は?・・・おぉ。良いではないですか。高校の頃は「難しい」という先入観があって、「分かる」「分からない」に拘っていたからダメだったのかな?。

せっかくだから、ジャズが好きと言っていたお客さんにどんなのを聴くかきいてみた。一番人気は何とキャノンボール・アダレイ。「サムシング・エルス」しか持ってないや。僕の持ってるジャズのアルバムは、正しいジャズ喫茶でリクエストすると、ふふんと鼻で笑われそうな超名盤ばかり。

ディランやストーンズが好きで、でもホントはモータウン等のブラック系が好きな常連Kさん「最近、マイルスばっかり聴いてるんですよ」と。常連学生Aくんもジャズを聴き始めたそうな。何故かごく小規模にジャズ・ブーム。

昨今、ジャズ・ピアノというとビル・エバンス「ワルツ・フォー・デビー」ばかりが人気のような。もちろん、良いには違いないのだが、30年前はキース・ジャレットやオスカー・ピーターソンのほうが人気だったような気がする。この世界も流行り廃りがあるのかな?個人的にはバド・パウエルが基本だと思ってるのだけど。

そう言えば、誰からもチャーリー・パーカーの名前が挙がらない。ジャズをきちんと聴いていくなら、欠かせない人なのに。

ディジー・ガレスピーは「音楽にクラシックとかジャズとかいうジャンルは無い。あるのは、いい音楽と悪い音楽だけだ」と言っていた。音楽を聴く「姿勢」としては、その通りだと思うけど、あえて言いたいこともある。

ジャンル分けは「便宜上」必要。でも確かに時々、邪魔になる。ブルース好きでTボーン・ウォーカーが好きなのに、ジャズのチャーリー・クリスチャンを知らないまま過ごすのは不幸。両者の差はほとんど無い。少なくとも同じブルースのB.B.キングやバディ・ガイより、うんと近い。

で、問題なのは「いい音楽と悪い音楽」。「好み」じゃなく「良し悪し」を言った時に、それが「分かる」かどうか。

高校生になった娘が吹奏楽をやってるので、コンクールを見に行くんですね。中学校の時は数校見て「A中は銀賞、B中は銅賞、C中は金賞だな」と予想を立てると的中していたんだけれど、高校になったら金賞と銀賞の差が分からない。・・・。クラシックを聴く僕の耳は中学生レベルってことなんでしょうね。ま、クラシックはモーツァルトとシューベルトの違いも分かってないんだけど。

ジャズの場合、昔はこの「分かる/分からない」が大事だったように思う。パイプをふかしたおっちゃんに「キミはこの名盤の良さが分からないのかね?」と言われても困るし、最近の若い男子はすぐ泣くというウワサを聞いたけど「そんなの分からなくちゃイケナイんですか!!?」と泣かれても困るんですけど。

「いい音楽/悪い音楽」は確かにあるけれど、それは「分かる/分からない」に直結する。そしてそれは聴き手の力量が試される、そういうプレッシャーを与える音楽は「いい音楽」なのか?

とか言いながら、「至上の愛」が良かったのが「分かる男」になったようで、ちょっと嬉しかった。というのも事実。

さ、またロックかけようっと。たまにはジャズもいいけれど、ヴァン・ダイク・パークスの名盤「ソング・サイクル」の良さも未だに分かってないんだから。

HANJI



オン・ザ・コーナー
マイルス・デイビス




至上の愛
ジョン・コルトレーン




サムシング・エルス
キャノンボール・アダレイ




ジ・アメイジング・バド・パウエル vol.1
バド・パウエル




ナウズ・ザ・タイム
チャーリー・パーカー




アフターアワーズ
チャーリー・クリスチャン


2011年08月29日

vol.69 メッセージをどうぞ 2

音楽評論家の中村とうようが7月21日に亡くなった。79歳。自殺らしい。このところ、主宰するミュージックマガジン社の会長職を辞したり、レコード等のコレクションを武蔵野美術大学に寄贈したりしていたというから、計画通りの行動だったのかもしれない。

70年代にニューミュージックマガジン誌で、日本のロック言論界(?)の中心的存在となり、80年代以降はワールドミュージックの紹介に力を注いだ。殊にワールドミュージック・ファンからは絶大な信頼を受けていたようだ。それにしても、身辺整理をして身軽になったところで、ゆっくり純粋に音楽を楽しむ生活を送るってことはできなかったのかな?合掌。

「アメリカの評論家は、けなすのが仕事。日本の評論家は褒めるのが仕事。」と言われたこともあったけど、とうようさんは「けなすのもアリ」な日本人らしからぬ(?)評論家だった。マガジンのクロスレビューでは、マイケル・ジャクソンの「スリラー」に0点(黒人のもっともダラクし果てた姿)、ピンク・フロイドの「ファイナル・カット」も0点(もったいぶり、コケおどし、大ゲサ)、トム・ウェイツの「レイン・ドッグ」に至ってはマイナス10点!!!

アメリカも凄いよ。「ローリングストーン誌」ではイーグルス「ホテル・カリフォルニア」(信頼性のかけらもなく、ひとりよがりの職人気取り)、ポリス「白いレガッタ」(インスピレーション豊かというより器用なだけ)。

褒めてばっかりだと「レコード会社の犬」とか言われて、けなしてばっかりだとミュージシャンからもファンからも嫌われたりして。

評論家というのは「センセー」と呼ばれたりもする職業ではあるけれど、実は蔑称でもあったりする。「オマエは評論家か!?」嫌なカンジでしょ?口だけで何もしない人って意味ですね。でも「ウチの会社に評論家はいらない!」なんて言う社長が経営コンサルタントと契約してたりして。無償で批判する評論家にはムカつくけど、コンサルタントの苦言にはお金を払うんだよね。「音楽評論家」の肩書きを「音楽コンサルタント」とかに替えるとミュージシャンのウケも良くなる?

評論家という呼称を嫌ったのが野球の江川卓。現役引退後の肩書きに、野球評論家ではなくスポーツ・コメンテーターという呼称を発明(?)した。ただ、江川氏、ほとんど取材もしないことで有名。評論じゃなく、ただコメントを言う人なのだから、それでもいいのか??

以前、デザイナーの友人に、どうしたらデザイナーになれるのか訊いてみたら「デザイナーって書いてある名刺を作ればいいんだよ」と。それで仕事が取れて作品が出来たらもう一人前。音楽評論家もたぶん、名刺をつくればなれちゃう。ただ著作の一冊も無いと、何かワルさをした時に「自称 音楽評論家」と言われちゃうんだろうけど。

「音楽コンサルタント」の役割は実は、プロデューサーだったりディレクターだったりする。じゃ、音楽評論家は何かというと「プロのリスナー」だと思うのです。

作る側、売る側からの情報だけじゃなく、聴く側の代表としての情報発信。

音楽評論家の仕事は、楽曲や演奏、その背景などを分析して「解説」すること、知られていない音楽を「紹介」すること、そしてその音楽を「評価」することの三つだと思うのです。評論を読んで「これはそういう曲だったのか」と納得したら、同じ曲でも違って聴こえてきたってこと、ありませんか?「ボクはリクツじゃなく自分の感性でいいと思ったモノは何でも聴きますよ」なんて、当たり前のことホザいてるうちは分かりませんか?音楽に対する興味を深くしていったり、広くしていったりする時に、信頼できる音楽評論家の存在はとても頼りになるものなのです。

が、昨今は活躍できるシーンがかなり減っているような。

アマゾンなんかでは「これをクリックした人には、これもオススメ」なんてパーソナルで絶妙な「紹介」機能があるし、素人評論家のレビュー「評価」も付いている。「解説」だって、ウィキペディアでも何でも、とにかくインターネットの普及で「プロの」音楽評論家の存在価値は低くなってきているような・・。

ところで。

「文句があるなら、テメエでやってみろ!!」・・・これは絶対に言っちゃいけない言葉だと思うのです。少なくともケチをつけられた側に「プロ」としてのプライドがあるならば。たいていの社長さんは「経営のプロ」なので、コンサルに「テメエでやってみろ!」なんて言いません。

それを言っちゃったのが、高田渡。ジャック・エリオットの前座に出た日本のフォーク・シンガーを中村とうようが批判して、それに怒った高田渡が対談の席で、呑めないとうようさんに酒を吐くまで呑ませて、そのセリフ。

この件に関しては、吐くまで呑んだとうようさんのほうがロックだ!いや、フォークだ!? それだけの覚悟を持って批判しているんじゃないかな。そういう「覚悟」とか「責任」を持って批評するのが「プロ」の評論家ってもんなんだろうと思う。

トムとジェリーじゃないけれど、天国で二人で仲良くケンカして下さいな。

HANJI





MUSIC MAGAZINE増刊 クロス・レヴュー 1981-1989


問題の企画。この企画が70年代からやってくれてたら良かったのに。






ローリングストーン レコードガイド


1982年発行。定価2900円。米国雑誌の1000枚のレコード評。辛辣な表現の宝庫。







日本フォーク私的大全

なぎら 健壱


高田渡とのエピソードは、この本から。高石ともやから井上陽水までの交友や体験を通じての日本のフォーク史。面白いです。










2011年07月20日

vol.68 メッセージをどうぞ

原子力発電所、是か非か。今、日本は大きな分岐点に立っている。

とか言っても、今ここで「原発ケシカラン」とか声を大にして言いたいワケではないので、あらかじめ。自慢じゃないが、ワタクシは不偏不党のヒト、と言うかノンポリ? 選挙権を持って三十余年、今までに選挙に行ったことは2~3回しかないというイケナイ大人なのです。

ま、でも世論調査では原発是非が拮抗しているらしいので、話せるお客さんに訊いてみた。そうすると、面白いほど、と言うべきか、見事に、と言うべきか、世代によってはっきりと違いがあった。サンプル数は少ないのだけれど、某大手生保勤務の常連Fさんが会社で訊いてみたら同じ傾向だったとのこと。

「原発、どう思いますか?」
三十歳代、四十歳代、五十歳代は、皆さん「自然エネルギーに転換していくべき」。今すぐなのか、できるだけ早くなのか、しかるべき時期(っていつだ?)になのかは若干違いはあるけれど「原発いらない」で一致。
二十歳代は「原発いらないって言っても代わりのものが無いですもんねぇ」と全員、原発容認。中でも学生及び今年の新入社員の皆さんは「反対する理由が分からない」「怖がりすぎ」「経済がダメになる」「なんでもいいからエアコン使えるようにしてほしい」と容認から推進に傾く。

四十歳代の常連Kさんに、この話をすると「それだけ政府や電力会社の洗脳が効いているってことですよ」と。若者の保守化が進んでいるという話は聞いていたけれど、今回初めて実感した。

ニール・ヤングがイラク戦争末期にブッシュ批判の「リヴィング・ウィズ・ウォー」を発表した時に「若い奴らが声を上げるだろうと待っていたけれど、誰も何にも言わないから自分で出した」と。アメリカも若者が保守化しているってことかな?

じゃ、そのニール・ヤングの世代、団塊の世代を中心にした60歳代はどうかというと、残念ながら、まだ訊いてません。ただ、常連学生A君と話していたら、若い彼には、団塊の世代=反体制のヒトたち、というイメージがあるそうだ。ま、ニール・ヤングやディランとか聴いていてウッドストックとか西口フォークゲリラとか学生運動の背景まで勉強していれば、そう思っていても無理はないかもしれないけれど、たぶん違う、と思う。

今や、原発PR協力文化人として批判されている漫画家、弘兼憲史もその世代。タイアップ漫画を描いていた、なんてのは別に批判することもないと思うのだけれど、課長から始まった長期連載「社長 島耕作」や「加治隆介の議」を読むと彼の主張が分かる。「原発推進」「労働組合は経営に協力すべし」「中国はえげつない」「北朝鮮はとんでもない」・・。(確か、山本コータローが「メッセージソングは原則として左翼の歌なので、反中国などはメッセージソングにならない」と書いていた。ハハ。)

姑息だなぁと思うのは、漫画の中で、作者(主人公)の主張に反対する者は、頭でっかちの分からんちんだったり卑しい顔つきをしてたりに描かれて、カッコいい主人公に軽く論破されちゃうこと。一種の刷り込み、洗脳効果がある。漫画として面白いかどうかを別にすれば、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」のほうが潔い。そういう「演出」が無く「オレ様の意見だぞ」と明確にしているから。あ、弘兼憲史の最高傑作は「ハロー張りネズミ」です。

いや、ちょっと待てよ。じゃ、自分の主張を音楽にのせるのは、いいのか?「ニール・ヤングの音楽は好きだけど、ブッシュを支持する」という人もいたはず。そういう人は彼のCDを買っても良かったのか??

というのは、苦い思い出があるのです。
1977年のローリング・ココナッツ・レビュー・ジャパン・コンサート。「クジラを救おう」という趣旨で、ジャクソン・ブラウン、ジョン・セバスチャン、J.D.サウザー等々、僕の大好きな人たちが大挙来日、日本側も岡林、泉谷等々・・・・でも行かなかったのです。「クジラを救おう? 何言ってんだ! クジラは美味いんだぞ!」と思っていたから。後になって、このイベントの顛末記を読んで、実はそんな単純なものではなく、捕鯨国日本の主張も入れつつクジラをきっかけに地球環境について考えようというものだったことを知り、やっぱり行けば良かった、と。

ルー・リードは「歌詞がちゃんと聴きとれる必要なんか無い、ロックの場合は。」と言っていたけど。

ベトナム戦争後のアメリカの苦悩を歌ったブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA」(84年)は、いつのまにか(最初から?)愛国の歌のように捉えられ、コンサートではアメリカ白人がサビを嬉しそうにコブシを振り上げ大合唱。今ではブルースは「そうじゃないんだ」と悲痛なカンジのアコースティック・ヴァージョンでしか演らない。当時、ブルースはカウンセリングを受けるほど悩んだらしいが、何故そんな誤解をされたのか? 答えは「アメリカ人は歌詞なんかロクに聞いちゃいないから」(森達也の著作によると)。

どうせ聞いてないのなら、メッセージは不要なのか? 音楽を聴いてほしいなら、メッセージがその邪魔をすることもあるのか? メッセージを伝えたいときに音楽を利用することが、そもそも不純なのか? その答えは風に舞っている(by Bob Dylan)???

僕も、実はそれほどマジメに歌詞を聴いてはいない。それでも、力強いメッセージに力強いサウンドが呼応することは知っている。ディランのフォークからロックへの転向を「重たい歌詞(メッセージ)を乗せるのにフォークギター1本は貧弱で、それにふさわしい乗り物(バンド・サウンド)に乗せたかったのだろう」と推察してたのは誰だっけ?

大本営発表を鵜呑みにするのではなく。過去のやり方を踏襲するのでなく。みんなと一緒が安心なのでもなく。別に政治的である必要もないけれど、音楽そのものが目的でもいいのだけれど。伝えたい気持ちのないモノは何も伝わらない。

HANJI


輸入レコード商売往来
岩永正敏

青山・骨董通りにあった伝説の輸入レコード店「パイド・パイパー・ハウス」の創業者の回顧録。が、「ローリング・ココナッツ・レビュー」の顛末に多くのページが割かれる。

ゲバルト時代
中野正夫

70年前後の学生運動に末端の一平卒として関わった著者の回顧録。教科書的な事実列挙の資料と違って流石にリアル。「投石」は道路の石畳を剥がして行っていた等のディテールも興味深い。


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